FINAL
誰かに話したい、広島がある
TEE

広島のこと。広島のひと。

東日本大震災以降、日本は、人と人の心のつながりを大切に、復興へ向け、前へ前へと進んでいます。
そして、被災地だけでなく、それぞれの地域で、「地元」「郷土」「故郷」への想いが強くなっています。
刊120周年を迎えた中国新聞社では、あらためて郷土の素晴らしさを、皆さまに気づいてもらうために、様々な方の声を聞き、広島の素晴らしさを再認識する企画「広島恋心。プロジェクト」を立ち上げました。毎月1回、広島出身の著名な方の「広島への想い」を紹介しています。
Vol.9の最終回では、一年の半分は広島を拠点に活動し、広島にまつわる楽曲も数多く生み出している、ミュージシャンのTEEさんにインタビューしました。

広島の、好きなもの。
ー広島の好きな食べ物は何ですか?
広島に帰ったら、お好み焼きは絶対食べますね。八木にある「楓」(広島市安佐南区)は、本当においしいです。祇園にある「QUE(キュウ)」(広島市安佐南区)とか、広島駅前ひろばにある「そぞ」(広島市南区)に行きます。「そぞ」は広陵高校の野球部の先輩がやっていて、人のつながりで行くことが多いですね。
ー月に何回くらい食べるんですか?
今は拠点が広島と東京と半分半分なので、月二回は絶対食べてます。三日間滞在して、二日食べることもありますね(笑)。そのくらい好きです。その中でも、母親がつくるお好み焼きは、どこにもない、おいしさだと感じますね。
ー高校時代にもよく食べましたか?
広陵高校の目の前にお好み焼き屋さんがあって、そこはよく行っていました。広島は、だいたいどこの学校の近くにも、おばちゃんがやっているようなお好み焼きのお店があって、そういうお店を狙って食べてみると、だいたいおいしいんですよね。
ー好きなスポットはありますか?
観音(広島市西区)のマリーナホップの中にある「J CAFE」は好きですね。店内には滝やステージ、夏にはテラスも出来て、海の眺めは最高です。
ー子どもの頃連れて行ってもらって思い出に残っている場所はありますか?
土師ダムですね。家族でサイクリングをしました。ガラスの里に寄ったりもして……なんだか懐かしいですね。急に思い出しました。
ーカープは好きですか?
大好きです。マエケン(前田健太さん)とご飯食べたりしています。これ言っていいのかわからないですけど、今度、結婚式で歌うことになっているんですよ。あとは、野村くんは広陵高校の後輩ですからね。結婚式であったら、強制的にオレの曲を使えって言おうと思っています。
ー今年は惜しかったですよね?
惜しかったですね。来年はクライマックスシリーズに絶対いきます。サンフレッチェは今年はいいですね。
ーサンフレッチェもやはり好きなんですね?
ボクシングする前は、もともとサッカーをやっていたんですよ。安佐南サッカークラブという広島でも強いチームでやっていたんで、サンフレッチェの森崎くんとも対戦したことありますよ。ボクシングのイメージが強いので、サッカーのイメージはないと思いますけど、実は小学校の頃はリトルリーグで野球を6年くらいやっていたり、とにかく色々やっていました。

拠点、広島。
ー一年の半分は広島を拠点に活動されています。どういう想いからですか?
単純に、広島にいたいという想いからですね。カナダにも住んでいましたし、大学時代には東京にもいました。だから、他の都市が嫌いなわけではないんです。所属している事務所が広島にあって、絆でつながっている仲間たちと一緒に活動しているので、ごく自然に広島にいるという感じです。それと、やっぱりカラダと心を落ち着かせるのは、地元にいるのが一番いいんですよ。
ー創作活動は広島で行うことが多いのでしょうか?
インスピレーションを受けたら、どこでもやります。でも、何かをつくるときに自分がよく通る道をぐるぐる歩き回ると余計なことを考えなくていいってよく聞くので、そういう意味では広島に帰っているときの方が、そういうことはできますよね。
ー広島を意識している曲が多くありますよね。
広島でやっている以上、故郷の魅力を伝えたいという想いはあります。はじめてつくった曲が「Don't Cry Hiroshima」というタイトルなんですけど、広島に生まれた自分たちには、伝えたいことと、忘れちゃいけないことがたくさんあるだろうと思って書いた歌なんで、それは世界中に届けたいなと思っています。
ーたしかにメッセージ性のある楽曲ですよね。
僕らは戦争を経験したわけじゃないですけど、夏は必ず平和教育を受けるんですよ。その時に、戦争を経験された方から話を聞くんですけど、経験された方もだんだんと少なくなってきているんです。そんな今だから、僕らの世代が背伸びせずに、戦争のことを忘れないために何ができるのかっていうメッセージソングなんですよ。僕は広島に生かされているという感謝の気持ちを込めて書いています。ただ、自分たちの世代の目線で広島の街や歴史を表現しているので、上の世代の人たちが聴いたら、どう思うのか気になったりもします。今年初めて、平和記念公園で歌わせてもらったときに、高齢者の方々も来てくれて、話しかけてもらったりしたんで、うれしかったですね。

広島と、平和。
ー小学校で平和教育をされてみて、いかがでしたか?
小学校三年生を対象にした平和教育をさせてもらったんですけど、そのパワーにびっくりしましたね。はじめてのことだったので、どんなことを話せばいいんだろうって思ったんですけど、子どもたちと一緒に考えていく方針に決めたんですよ。でも、自分が話しはじめたら、あっち向いたり、こっち向いたりで、最初はすごかったです。それでも、しっかり言いたいことは言えたし、自分が聞きたいことは聞けたし、いい経験でした。最後に歌を歌ってもらったんですけど、心が洗われましたね。伝えようって気持ちで歌ってくれたので、伝わってくるんですよ。歌の大切さを再認識できて、逆に学ばせてもらった感じでした。こういう取り組みは、続けていきたいなぁと思っています。

広島と、音楽。
ーデビュー前に広島の路上で演奏していたと聞きましたが?
五日市駅や廿日市駅でもやったことがあります。横川でも本通りでもやりました。練習のときは、原爆ドーム近くの本通りから架かっている橋の下で、いろんな人が演奏していて、そこに入ってセッションしたりしていました。高校生が多いんですけど、かっこいいねって声かけて、そのまま仲良くなって一緒にライブに出たりしてました。
ーそういう文化だから、広島はアーティストが多いんですかね?
多いですよね。自慢できます。吉田拓郎さんが広島だったり、胸はって言えるアーティストが多い。奥田民生さんも、矢沢永吉さんもそうですからね。デーモン小暮さんもね。最終回、デーモンさんじゃなくて大丈夫ですか(笑)?

広島の、イメージ。
カナダに行って、外から広島を見て、どんな感想を持ちましたか?
カナダでも誰もが知ってるんですよ、広島のことを。知らない人がいない。どこ出身かを聞かれて、日本の広島だと答えると、みんな知っているんです。下手したら東京より知られているかもしれない。でも、それは決して喜べるヒストリーではない。だから、音楽をはじめたとき、自分が今歌うべきことは何かを考えるきっかけになりました。広島が何でこんなに有名なのかを追求して、広島について歌おうと思いました。
ー1曲目の「Don't Cry Hiroshima」は自然に出てきたんですね。?
そうですね。実際にアトミックボムという事実は知っている人が多いですけど、じゃあ何が起きたのっていうと知られていない。何が起きたって聞かれたときに、説明できる自分でいたいと思います。
ー広島人とはどんなタイプの人だと思いますか?
情に厚い人が多いんじゃないかなぁと思いますね。義理と人情って感じですね、やっぱり。自分を叱ってくれる人がいるのはこの街だけです。
ー自分にも感じますか?
感じます。僕は広島に帰ると、必ず行く店があるんですけど、そういうとこに帰りたくなるというか。どれだけ忙しくても必ず寄ります。
ー行くと、どういう気持ちになりますか?
自分はアーティストで、人からキャーキャー言われたり、手を振られたりする仕事ではあるんですけど、これは広島だけに関わらず、日本中、世界中どこへ行っても、一人の人間として生きていきたいなと思う部分はあるんです。ちょっとでも天狗になったり、偉そうにしたり、僕が間違った方向に進んだときに、ケツをたたいてくれる人がいるっていうのは、広島ならではですよね。父親だったり、その知り合いの人たちの背中を見て生きてきたんで。父親は広島で自営業をやっているんですけど、油まみれの父親を見て育っているんで、その辺はやはり、人情にあふれる父親だなぁと思ってますし。

広島の、熱さ。
ー何か、思い出に残るエピソードはありますか?
小学校や中学校、高校もそうですけど、昔から付き合いのある友だちが今の仲間だったりするんですけど、僕がカナダから帰ってきて「ボクシングやめてどうした?」って聞かれたときに「歌手になる」って言ったら、みんなが大笑いして、ムリムリってちゃんと言ってくれたんですよ。でも、ある日、みんなで街に遊びに行ったときに、アリスガーデンで音楽をやってる人たちがいたんです。DJブースだして、ブレイクダンスをしたりしてたんです。マイクがあったんで、まわりの仲間が「お前もやってこいよ」って言ったんですよ。カナダから帰ってきて音楽やるとは言ったけど、まだそんなでもなくて「やべぇ」と思った。でも、やんなきゃと思った。そこで、マイクをとって、「Don't Cry Hiroshima」を歌ったんですよ。そうしたら、みんなが拍手喝采してくれて。その後、仲間たちが泣きそうな目で「すげぇな、応援するわ」って言ってくれた。その日から、どんなに小さなライブハウスでやるときも、その中の一人は来てくれているんですよ。仕事帰りに見に来てくれたり。そういう仲間と遊んだり、電話することで、自分が自分でいられる。広島の街からも、仲間からもエネルギーを感じられるっていうのは、すごく幸せなことですね。
ー熱いエピソードですね。
ちょっと余談ですけど、アリスガーデンで歌ったとき、「ここでパフォーマンスしていいですか?」って話しかけた人がいて、その人は今も自分のバックダンサーなんですよ。その翌日バーに行ったら、「昨日アリスガーデンでやってたよね」って声をかけてくれた人がいた。そうしたら「ここのバーは歌えるようになってるから、来週遊びに来て歌いなよ」って言われたんです。それで、「よっしゃー」って気持ちで翌週遊びにいったんですよ。でも、その日はミュージシャンたちが打ち上げをやっていて「今日はごめん、無理なんだ」って断られちゃった。ちょっとだけでもお願いしますって、その場にいさせてもらったら、そこにピアノを弾きながら歌っているお兄ちゃんがいたんですよ。かっこいいなぁと思った。それで僕も、持参のマイクを勝手につないで、ドゥバドゥビドゥバとか歌いだしてみたら、その人が一緒にセッションやろうよって言ってくれたんです。その人はGACKY(ガッキー)という人だったんですけど、元バックラッシュという広島の伝説的なバンドのメンバーだった。GACKYはそのとき、ちょうどソロデビューするタイミングで「これからまだ2曲つくるんだけど、その2曲に入れば?って言われた。僕が日本に帰ってきたときの夢は、CDに自分の名前を載せることだったんですね。それが、すぐにかなってしまったんですよ。
ーそんな行動的なTEEさんですが、やりたいことがあってもなかなか踏みだせない人にメッセージを。
JUST DO ITって感じですね。やりたい、やりたいって言うのはいくらでも言えますからね。音楽やりたいとか、歌手になりたいとか、かっこよくなりたいとか、言う人はたくさんいるんですけどね。なりたい、なりたいと言っていても、ずーっとなりたいままで、なれるのは結構先のことだと思うんですよ。そうじゃなくて、僕はもう、そのものになった方がいいと感じているんですね。僕は歌手になりたいって言っていましたけど、その二日後三日後には僕は歌手ですって言っていたんです。そういう言葉ひとつだけでも、目の前に用意されるステージは全く変わってくると思うんですよ。なりたい、なりたいって言っている頃は、周りの人から、がんばってねとか、応援しているよって言われるんです。でも、マインドを変えて、言い方を変えて、僕はミュージシャンなんだって言うと「マジか!?」みたいな目で見られたり、「聴かせて」って言われたり、「スタジオ遊びに来いよ」って誘われたり、ステージは用意されていくんです。そうなると、やるしかないわけです。やると、いいか悪いか評価される。だから、やりたい、やりたいって思っているより、やっちゃうのがいいと思うんですよね。それはなんか、アドバイスじゃないけど、自分がやってきてよかったと思うことです。

広島のよさ、そして、やりたいこと。
ー広島ってどんな街ですか?
このインタビューを見て「なんでオレのこと言ってないの?」とか「なんでオレの店の名前を出してくれないの?」とか、すごい数の人に言われると思うんですね。そのくらい恩師がたくさんいる。ボクシングだけじゃなく、塾の先生、学校の先生、仲間たち、たくさんの人が自分を育ててくれたんで、名前をあげなかった人ごめんなさい。でも、いつもしっかりつながってますってことは伝えたいし、感謝もしていますし。広島って言うのは、そこに住んでいる人たちがつくり上げてきたと思うし、それは自分が出会ってきた人や、まだ出会えてない人、すべての人に心から感謝したいなという気持ちはありますね。今、自分がこういう立場に立ってみて、この街をもっと明るくしたいなと思いますね。
ー広島でやりたいことはありますか?
やってみたいことは、ミュージシャンとして、フェスとか開いてみたいなと思いますね。ピースコンサートという、歴史的なコンサートもやっていましたし、音楽に長けてる街だと思うんですよね。でも、どこでフェスする?って考えた時に、なかなか場所が思い浮かばないんですよね。最初はこじんまり始めてもいいかなぁと思っています。ちょっと地元の話ですけど、太田川の花火大会が子どもの頃の家族や仲間との思い出なんですね。夏休みに行って、知り合いと会えたりして楽しかった。でも、何かの事情で中止になったんですよね。子どもたちの楽しみがなくなってしまったのは残念です。太田川でまた花火をあげたいなというのはありますね。それを、音楽と連動させて、ピースコンサートのようなものをつくっていければいいですね。


TEE 広島市安佐南区出身
広島の事務所に所属し創作を続ける、天性の歌声を持つアーティスト。大ヒット曲「ベイビー・アイラブユー」をはじめ、心に突き刺さる楽曲多数。
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12月5日セカンドフルアルバム「much love」発売

広島の仲間を想い書いた「Together~つながり~」をはじめ、「With You~ぬくもり~」を収録したアルバム。本人曰く、前回のアルバムを超える、メッセージ性にあふれた曲が多い。
CD