vo.6
誰かに話したい、広島がある
田中秀道

広島のこと。広島のひと。

東日本大震災以降、日本は、人と人の心のつながりを大切に、復興へ向け、前へ前へと進んでいます。
そして、被災地だけでなく、それぞれの地域で、「地元」「郷土」「故郷」への想いが強くなっています。
創刊120周年を迎えた中国新聞社では、あらためて広島の素晴らしさを、皆さまに知ってもらうために、様々な方の声を聞き、広島の素晴らしさを再認識する企画「広島恋心。プロジェクト」を立ち上げました。毎月1回、広島出身の著名な方の「広島への想い」を紹介しています。
Vol.6では、広島でゴルフをはじめ、日本のみならず、アメリカでも活躍し、今も挑戦を続けているプロゴルファー田中秀道さんにインタビューしました。

広島発、プロゴルファー。
ーゴルフをはじめたきっかけは何ですか?
僕は、吉島(広島市中区)に住んでいたんですけど、小学校5年の頃に、幼なじみの一人がお父さんのお古の7番アイアンを持っていたんですよ。それで、友達と空き地の隅に4箇所穴をあけて、プラスチックの穴あきボールを打って遊びはじめたんです。それがフワッと飛ぶのが面白くて。すると、もっと飛ばしたくなるんですね。テープでボールの穴をふさいで、飛距離を伸ばしたりして遊んだのが、とにかく面白かった。野球もやってたんですけど、ゴルフ遊びが楽しくなって、だんだんキャッチボールしていた時間が、ゴルフの時間になっていきました。当時、ゴルフマンガの「明日天気になあれ」を読んでいたり、倉本さんも活躍していましたし、自然な流れでゴルフをはじめました。
ー最初からうまかったんですか?
僕のおばさんが古いゴルフクラブを持っていて、8番アイアンを借りて空き地でゴルフをしていたんですけど、それを見つけた父が「何をしてるんだ」って話になって「空き地でゴルフをやってる」って言ったら、打ちっぱなしにでも行くかという話になったんですよ。それで、舟入(広島市中区)のゴルフ練習場に連れて行ってもらったんですけど、打った瞬間に父が驚いたって聞きました。
ー才能があったんですね。
どうでしょうね。その練習場のインストラクターの先生に見てもらったことがあったんですけど「このままやらせたらいいんじゃないですか」と言われて、親子でいい気分になって、1万5千円の中古のハーフセットを買ってもらいました。小学校6年の3月の誕生日に、父の粋なはからいで、芸南カントリークラブに連れて行ってもらったんですけど、楽しくてしょうがなかったですね。

ーそれから学生時代はゴルフ三昧ですか?
中学校の頃は、毎日ゴルフバッグをかついで、舟入の練習場に行ってました。すごく楽しかったんですけど、当時はまだ、ゴルフウェアを着て、歩いているのを友達に見られるのは、少し恥ずかしかった記憶があります。近所ではちょっとした有名親子でしたよ。毎日、練習に行き、毎日、父に怒られながら、泣きながらボールを打ってたので「あいつまた来て泣いてるよ」みたいな(笑)。毎日泣いてましたね。
ー本格的にプロゴルファーを目指したのはいつですか?
中学校1年の夏に試合に出てましたね。中学校2年頃に、瀬戸内高校の方に一緒に試合へ連れて行ってもらって、その時点で、瀬戸内高校は強いという印象を持ちました。ここに入りたいという気持ちになりました。だから、中学校2年の段階で、瀬戸内高校に入るどころか、高校を卒業したら関西に出て20歳までにプロになる、25歳までに初優勝する、30歳までにアメリカに行くって決めてたんですよね。
ーほぼそれ通りにいってますね。
中学校2年のときに考えたプランに近い人生を歩めましたね。その時に、もっと先のプランまで考えておけば、こんなにスランプにならなかったかもしれないですね。中学校2年の時に82歳くらまでプランを考えとけばよかったです(笑)。
ー今回の取材地である霞ヶ関カンツリー倶楽部の思い出はありますか。
気が引き締まりますね。日本ジュニアゴルフ選手権の決勝のコースですから。聖地のような場所です。初優勝した95年の日本オープン選手権もここで開催され、思い出深いゴルフコースの1つです。

好きな、広島。
ー広島には、よく帰りますか?
年に1回くらいですね。松山にお墓があって、墓参りに行く前に広島に帰ります。その時は、父とゴルフをしに帰る感じですね。父は僕としたいというより、ゴルフがしたいだけみたいなんですけどね(笑)。
ー広島の好きな食べ物はなんでしょう?
お好み焼きは好きですね。お好み村にある「あとむ」っていうお店によく行きます。あと、同級生が観音(広島市西区)でやっているお店にも行きます。「お好み焼鉄板ハウスOSAMU」という店です。元カープの嶋くんも来てるみたいです。お好み焼きで頼むのは、肉玉そばのイカ天が定番ですね。関西で、トッピングでイカって頼むと、本当のイカが出てくるんですよ(笑)。エーッと思った経験がありますね(笑)。広島ではイカ天が当たり前です。あと、有名店ですけど、焼肉で「南大門」のタンは好きですね。タンしか食べないくらいの勢いです。
ーやはりカープファンですか?
どっぷりですね。高橋慶彦選手の後は、僕がカープのショートを守ると思ってましたから(笑)。旧広島市民球場も自転車でよく行ってましたね。試合終わった瞬間にフェンス乗り越えて、グランド飛び込んで、高橋慶彦さんを追いかけてました(笑)。ショートのグラウンドの土を持って帰ったりしました。前田智徳選手と仲が良くて、よく話をするんですけど、彼からカープの話を聞くのも好きです。

広島のいい風景。
ー広島の好きな風景はありますか?
最近思うようになったんですけど、瀬戸内海の静かな風景はすごくいいです。昔、宇品港からフェリーに乗って四国へ墓参りに行った時の瀬戸内海の光景が忘れられません。広島から離れて生活するようになって、本当にいいところなんだなぁと、改めて思います。

広島の人、気持ち。
ー広島人って、どんな人だと思いますか?
暑苦しいくらい熱い人が多いですよね。著名人も多いですけど、プロゴルファーも多いんですよね。倉本さんからはじまって、谷原秀人、今田竜二もそうですよね。ほとんどの人が、激しい性格ですよ。短気というか、熱いというか。
ーなぜ広島はプロゴルファー多いんですかね?
羽ばたき感が強いんじゃないですか。いってやるぞ感があるんですよ、きっと。
ー自分が広島人だと感じることはありますか?
やっぱりありますね。うまくいかないとゴルフクラブをたたきつけたり、激しいタイプなんですね。世界に出ても、世界中のどこにでも、広島の人っているイメージありますね。やっぱり強い人が多いんでしょうね。そういう熱い人が、広島には多いんだと思うと、今、調子はよくないですけど、広島魂を忘れず、這い上がろうと思えます。
ー広島弁は出ますか?
僕が契約しているメーカーの担当が広島人で、結構広島弁がすごいんですよ。達川さんかって思うくらい(笑)。だから、その人とか後輩と話してると広島弁が出ますね。
ー広島の人って人のつながり強いですよね?
そうですね。東京で広島の人と会うとうれしくなりますし、広島ナンバーの車見ると、止めようかと思いますからね(笑)。

広島の、いいとこ。
ー広島のいいところはどこでしょう?
山も、海も、穏やかでいいですよ。でも、人は熱い。カープじゃないですけど、赤の印象ありますよね。燃えたぎるような感じですね。いつも戦闘態勢みたいなところはありますね。
ー広島がこれから、どんな街になるといいですか?
広島は、やっぱり熱い広島のままであってほしいです。今までもそうだと思いますけど、世界に羽ばたくような、熱い広島人が育つ街であってほしいですね。ただ、熱い、熱いといいながらも、今は草食系が多いかもしれないので、そこは引き締めて、広島魂のある熱いものを、世界に発信できるよう街であってほしいですね。だから、熱い気持ちは、僕らの世代が、下の世代に伝えていく大切なことだと思います。

田中秀道 広島市中区出身

プロゴルファー。1971年生まれ。小柄な体格から、力強いスイングを繰り出し、95年の初優勝、98年の日本オープン優勝など日本ツアーで活躍後、02年より米国ツアー挑戦。日本復帰後、今も挑戦を続ける。
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