vo.7
誰かに話したい、広島がある
ポルノグラフィティ

広島のこと。広島のひと。

東日本大震災以降、日本は、人と人の心のつながりを大切に、復興へ向け、前へ前へと進んでいます。
そして、被災地だけでなく、それぞれの地域で、「地元」「郷土」「故郷」への想いが強くなっています。
創刊120周年を迎えた中国新聞社では、あらためて広島の素晴らしさを、皆さまに知ってもらうために、様々な方の声を聞き、広島の素晴らしさを再認識する企画「広島恋心。プロジェクト」を立ち上げました。毎月1回、広島出身の著名な方の「広島への想い」を紹介しています。
Vol.7では、尾道市因島出身で、数々のヒット曲を生みだし続けているポルノグラフィティ(岡野昭仁さん・新藤晴一さん)のお二人にインタビューしました。

広島と因島
ー因島(尾道市)出身のお二人ですが、因島でオススメのスポットはありますか?
岡野 因島公園の展望台から、島々を見るのはとてもきれいですね。あと、白滝山もいいですね。僕らはあたりまえに見ていましたけど、山の上に石像が並んでいたりして、結構めずらしい風景だと思います。
新藤 ちょっと山に登って瀬戸内海の風景を眺めると、街があって、海があって、その海には船があって、山がグラデーションで見えて、ひとつの景色の中にすべてが集約されている箱庭的な美しさがあるんです。それは、故郷の風景として自慢したいと思いますね。
-しまなみ海道ができて、サイクリングで通る人も多いみたいですね。
岡野 そうです、そうです。自転車乗る人にとっては聖地と言われてますよね。やっぱり、本当にきれいなんですよ。因島だけじゃなく、島々が。
-思い出の場所はありますか?
岡野 因島大橋記念公園内にある「レストラン海峡」かな。住んでいる町にレストランがなくて、家族で島内のレストランに行くといえば、「海峡」でした。
-青影トンネルをはじめ、いくつか因島の地名が歌詞の中に出てきますよね。
岡野 今は島の中に大きな道ができて変ったんですけど、当時は学校からの帰り道が遠かったんですよ。自転車で走って、ようやく青影トンネルを越えると、自分の住んでいる町に辿り着くんですよ。その時の気持ちと重ね合わせて、そんな想いをしてでも彼女に会いたいみたいな想いを歌詞にしました。

広島と音楽
ーバンドの練習はどこでやっていたんですか?
岡野 島にはスタジオなんかないですし、ライブハウスもないので、高校の視聴覚室にアンプとスピーカーを置いてやっていました。楽器屋さんもないですから、結構特殊な環境ですよね。
ー練習でも因島からは出ないんですね。
岡野 小中学生の頃は、島を出るのは大ごとでしたし、高校生になってバンドをはじめても、半年に一度、福山に行くくらいでしたね。
新藤 ターの弦を替えるのも大変でした。レコード屋さんにしか弦が売っていなかったんです。しかも、定価なんですよ。今は弦を定価で売ってるところあんまりないので、1セット500円くらいなんですけど、当時は1セット2000円くらいでした。ギターの弦って、本当は一本切れたら全部替えるものなんですけど、一本切れたら、一本買うという感じで大事に使っていました。
ー因島で育ったことが、自分たちの音楽のルーツになっていたりしますか?
岡野 島に特有の音楽の文化があったわけではないですけど、とにかく情報が少なかった。CD屋さんも、ジャンルとかちゃんと分かれてないようなお店がひとつあるだけでした。だから、自分たちで色々情報を集めるんですけど、大よその情報しか集まらないんですよね。だから、カテゴリーもわからず、とにかく全部、分け隔てなく聴いていた気がします。それも、マイナーなものではなく、メジャーなものばかりでした。邦楽も、洋楽もそうですし、アイドルも、ロックバンドも聴いてました。
新藤 とにかくメジャーなものしか島に届いてこなかった。よくマイナーなアーティストを先輩から教えてもらって聴きはじめるエピソードとかあるじゃないですか。それもなかったですね。まわりも皆同じ環境ですから(笑)。だから、当時、因島に届くことイコールメジャーな音楽だと思っていました。10年以上活動していますけど、振り返ってみても、アンダーグラウンドとか、マイナーとか、自己満足でいいとか、そういう発想の根本がないんですよね。「メジャーになって人に聴かれてなんぼ」という発想しかないですね。それは、因島で育ったからこその考え方かもしれないです。当時の因島にも届くような、メジャー志向な部分は。
岡野 そうですね。だから、雑多でもあるし、メジャー志向でもある。
ー因島で無料ライブを開いたのはどういう経緯だったんですか。
新藤 もともとは、市町村合併の時の高校の卒業式に、アコースティックギターを持って一曲歌いに行こうかって話をしていたんですけど、せっかく二人が島に帰るならと、まわりのスタッフたちが熱くなってくれた。せっかくの凱旋ライブだからって、あれよあれよと普通のコンサートと同じくらいの機材を持って行くことになりました。照明会社の社長が、二人をもっと立派に魅せてやろうって、照明をかなり持ち込んでくれたりしました。子どもたちも歌ってくれて、いいライブでしたね。因島は僕たちの故郷だけど、スタッフたちも故郷という言葉に触発されて、熱い想いで手伝ってくれたから実現できました。そこにいた子どもたちにも、仲間と一緒にやる良さみたいなものが伝わっていればいいと思うし、何より子どもたちより先にスタッフが泣いていましたからね。みんなが、故郷ってことに、何か感じるものがあったのかもしれないですね。
ー因島に限らず、広島でライブをやるときは気分は違いますか?
岡野 僕らにとっては昔から、広島市内でやるのはひとつの憧れでした。因島からは離れているし、都会ですからね。そういう高いハードルを感じていたので、いまだに緊張感がありますね。あと、福山でもやったことがあるんですけど、それは、何とも言えない喜びがありましたね。福山は身近な場所だったんで、「福山で僕らが実際にライブやってるわぁ」みたいな感覚でうれしかった。昔、遊びに行ってた街で、ライブをやるのが不思議でした。
新藤 でも、MCが全くウケなかった(笑)。ミュージシャンって、ある距離感を持って見てくれるから、ちょっとしたことにもお客さんが笑ってくれたりするんですよ。距離のある人が地名を叫んでくれたり、身近なこと言ったりすると盛り上がる。でも、広島にしても福山にしても、本当に親近感を持ってくれていて、隣の兄ちゃんみたいな扱いだから、MCは全くウケないんです(笑)。

好きな、広島。
ー広島の好きな食べ物はありますか?
岡野 因島には、これという名物がないんですけど、魚はおいしかった記憶がありますね。うちの親父が、海が好きで、釣りをしていたというのもありますけど。学生時代に大阪に出た時、帰省すると親父が釣ったばかりのメバルとイカを持って帰ってきてくれたんですよ。それを食べたときに、こんなにおいしいものを毎日食べていたのかと思うくらい、おいしかったです。住んでると気づかないんですけど、新鮮な魚介類のおいしさは特別なものですね。
ー広島に帰ると食べるものは?
新藤 お好み焼きはもちろん食べますし、尾道ラーメンも食べます。僕は「朱華園」が好きですね。自分でも行きますし、ツアーとかでスタッフが一緒だと、必ず連れて行きますね。

広島の人。
ー広島人はどういう人だと思いますか?
岡野 基本的には、熱い人が多いんじゃないですかね。でも、地元が好きで、気合い入ってるのに、そうでもないようなこと言うでしょ。奥田民生さんも代表的ですよね。あんまり気合いが入ってないようなことを言うのに、誰より先に広島市民球場でライブをやったり(笑)、宮島でやってたり(笑)。広島人は、そんな気合いが入ってないような感じのことを言う、照れ屋なところはありますよね。広島出身のアーティスト集めてイベントを開けば、たぶんすごいことになるでしょうね。浜田省吾さんもいるし、矢沢永吉さんもいるし、吉田拓郎さんもいるし、すごいですよね。でも、誰も恥ずかしくて声かけないみたいな。そういうところも広島人を象徴していると思うんですけどね。

広島の、未来。
ー今後、広島がどういう街になっていけばいいと思いますか?
岡野 変わらなくていいような気がしますね。まぁ、でもカープはAクラスに入ってほしいですけどね。
ーカープの試合結果は毎日チェックしていますか。
岡野 もちろん、しますね。
ー歴代の好きな選手は誰ですか。
岡野 まだ現役ですけど、前田選手ですね。
新藤 僕は高橋慶彦です。
ーちょっと話がそれましたが、広島がもっとよくなるにはどんなことをすればいいでしょう。
岡野 うーん。やっぱりアピールが下手なんですかね。ほんと、いいところなんですよ。ただ、因島からすると、広島市内って、上の存在なんですよ(笑)。だから気持ち的に広島って言われると、僕らが広島全体のこと語っていいのかなって心配になります(笑)
ー「因島恋心。プロジェクト」だと語りやすいですか。
岡野 そうしてもらえると気持ちは楽ですね。
新藤 みんな同じことを言うかもしれないですけど、カープがあって、サンフレッチェがあって、お好み焼きがあって、宮島があって、夏には平和式典があって、広島を思い返すと、色んなシーンがいっぱいある。だから、それは守ってほしいと思いますね。経済状況も変わって、去年は震災もあって、故郷に目が向いてる気がします。海外よりも日本のよさを、都会よりも故郷のよさをという感じが日本全体にある。だからこそ、広島の色々なシーンが残り続けていけば、みんなの故郷としての誇らしい広島であり続けるのかなと思います。
岡野 そういえば、この前、伊丹空港から松山に行く飛行機に乗ったんですけど、小さな飛行機で高度が低かったんです。飛んでいる間、島々が見えるんですけど、本当にすごくきれいで、誇るべき風景でした。こういうのを、もっと自慢していくべきなんですね、きっと(笑)。あまり言ってないですもん、この話(笑)。やっぱり変なプライドがあるのかもしれないです。
ーどんどんアピールしていきましょう(笑)。
新藤 広島って、中国地方のいちばん大きな都市として、安心しちゃってるところがありますよね(笑)。住んでいる頃は日本でも2、3番目の都市くらいに思っていましたからね(笑)。東京、大阪、広島くらいの。でも、実はそんなに大きくないんですよね。ライブでも東名阪からはじまって、5大都市ツアーで広島行けるかと思ったら、まだ入ってないんですよね。福岡、仙台が入ってくるみたいな。10大都市でやっと入ってくるんですよ。だから広島でやれるのはミュージシャンでも相当メジャーにならないといけないんですよ(笑)。

ポルノグラフィティ 因島出身
1999年「アポロ」をリリースしてメジャーデビュー。以降、「サウダージ」でオリコンチャート1位を獲得するなど、数々のヒット曲をリリースしている。因島での無料ライブ開催や、MCやラジオで広島弁を使うなど、広島への愛が深いアーティスト。


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