vo.3
誰かに話したい、広島がある
竹原慎二

広島のこと。広島のひと。

 東日本大震災以降、日本は、人と人の心のつながりを大切に、復興へ向け、前へ前へと進んでいます。
そして、被災地だけでなく、それぞれの地域で、「地元」「郷土」「故郷」への想いが強くなっています。
創刊120周年を迎えた中国新聞社では、あらためて広島のすばらしさを、皆さまに知ってもらうために、様々な方の声を聞き、広島の素晴らしさを再認識する企画「広島恋心。プロジェクト」を立ち上げました。
毎月1回、広島出身の著名な方の「広島への想い」を紹介しています。
Vol.3では、広島が誇るボクシング世界チャンピオン、元WBA世界ミドル級王者の竹原慎二さんにインタビューしました。

広島人とは。
東京在住の竹原さんから見て、広島人はどういう特徴があると思いますか?
「我が強いというか、個性的な人が多いですよね。そういう所が広島人の好きなところですね。あと、熱しやすく冷めやすいところがありますよね」
それは、たとえば?
「ボクシングの現役時代も感じましたが、カープの応援も同じで、強いときは本当に熱を感じますよね。けれど、冷めやすい(笑)。でも、それでいいと思うんですよ。よく言えば、素直ですよね。それに、冷めているように見えても密かに期待を抱き、けなげに応援し続けるのが、広島人のいいところです」

広島人・竹原慎二。
 自分が広島人だと感じる瞬間はどんな時ですか?
「どこであろうと、誰であろうと、広島県人に会うと、すごくうれしくなりますね。海外で日本人を見つけたら、うれしくなるあの感じに近いですね(笑)。あと、今年は調子よさそうですけど、どんなに弱くてもカープを応援してるときですね」
 やはり根っからのカープファンなんですね?
「カープはもちろん、広島っていうだけで何でも応援したくなりますね」
 球場にも足を運びますか?
「小さい頃、旧広島市民球場によく行っていました。試合中に球場が突然停電になったことがあるんですが、その時も球場にいました。あと、旧広島市民球場最後の試合の時に、ウェーブが起きたんですけど、あれ起こしたの僕ですよ」
 本当ですか?
「本当です。本当です。仲間たちとしつこくやってたら、球場2周くらいの大ウェーブになりました。レッド吉田さんも証人です(笑)」
 広島時代にお世話になった人はいますか?
「誰だろうな。調子乗っていましたからね(笑)。あ、中学校二年の時の、校長先生と教頭先生ですかね。その頃、やんちゃだったんですけど、ケンカして相手をケガさせたことがあったんです。もちろん、ケガさせたのは悪いことなんですけど、僕はひとりで、相手は何人かいたからですかね、校長先生と教頭先生がお前は悪くない、裁判なっても守ってやるからって言われたのは、うれしかったです」
 器が広いですね。
「今も広島の先輩方はよく面倒を見てくれますね。面倒見がいいのも広島人の特徴かもしれないです」

広島の好きなところ。
 広島で好きな風景はありますか?
「広島は全部好きなんですけど、新幹線で広島駅に着く直前の最後のトンネルを越えた時に、地元の府中町が見えるんですよ。右に府中中学校、左が府中緑ヶ丘中学校。あそこを通過する時に、ほっとするんですよ。それは、ボクシングの現役時代から変わりません。帰ってきたなと実感する瞬間ですね」
 とっておきのスポットは?
「僕の先祖の墓が、仏舎利塔のそばにあるんですけど、仏舎利塔の上から市内を一望するのは好きですね。行ったことある人も多いと思いますが、行ったことない人はぜひ行ってほしいですね。僕も、今度この新聞が出たら、先祖に自慢しに、墓に供えに行きたいですね」

広島の好きな食べ物。
 広島の好きな食べ物はなんですか?
「お好み焼きは小さい頃、毎週のように食べていましたけど、今は断然つけ麺ですね。東京でも広島のつけ麺はよく食べます。辛くておいしいですよね。今はなくなったんですけど、新宿に「ばくだん屋」があって、やみつきになって一時は毎日のように食べていました。特別に持ち帰りさせてもらって(笑)。広島に帰った時も、流川周辺によく行くんですけど、どこでもいいから、つけ麺は必ず食べます」
 その他オススメしたいお店はありますか?
「焼肉三甲ですね。実家なんですけど(笑)。矢賀新町で母親がやっているので、ぜひ行ってみてください!」

竹原慎二 安芸郡府中町出身

89年プロデビュー。95年に日本人では絶対不可能と言われていた世界ミドル級王座を獲得した元WBA世界ミドル級王者。96年10月引退。現在はテレビ等で活躍中。また、畑山隆則氏とアマチュアのためのスポーツ・ジム「竹原慎二&畑山隆則のボクサ・フィットネス・ジム」設立。
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